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月月火水木金金の週末に [腐れタリアート]

月火水木金・金月・月火水木金金,そしてやっと日。
やたらに長い一週間が終わった。この間13連勤。さすがにきつかった。

買い溜めた本にやっと手を付ける。だが,目が何回も同じ箇所を追っている。
思考力が壊れているようだ。
一方,妙に目は冴えており,なかなか寝付けそうにない。

この「一週間」のうちに,またも妄言。言わずとしれた原爆「しょうがない」である。
「クラスター爆弾OK」の人だけに,「またか」と思った。「あ,そう。勝手にしやがれ」とも思った。さらに,「頭悪いなあ」と呆れた。

・・・

今になって思い返せば,非難されるべきは,上のような私自身の反応である。
「またか」や「あ,そう」とは,なんと軽い反応か。

思考力だけではない。何かが壊れている。それは多分「痛覚」である。
己の受けた痛みだけでなく,他人の痛みに対して,強者が振りかざす力に対して,人を人と思わぬ暴言に対して,感じるべき「痛み」を,感じなくなっている。

所詮は他人事

己の事ながら,この感性の鈍さはどうだ。原爆「しょうがない」の大臣と大差ないではないか!怒り・痛みという感覚の裏付けなく,頭の悪い大臣を嘲っているだけでは,己が批判している相手と何も変わらないではないか。「上から目線」に立っているという点において!(※1)

今度戦争を許すのは,私のように感性が溶けた《腐レタリアート》かもしれないな。

リーマンになって以来,この国の戦争準備も「エリート以外は奴隷化」教育も全て,まるでどこか遠いところで起きているようだ。
《遠くない》事柄といえば,あの見積書が片付いていないとか,明日は休みだから何時に起きようとか,…そんなことばかり。麗しい光景ではある。
「痛覚」をどう取り戻すか・・・
だが今日はもう限界だ。とりあえず寝る。


※1 もちろん私,現実にはれっきとした「下」なんですよ。


長時間労働をガンバロー!サービス残業をガンバロー! [腐れタリアート]

《労働組合》などない。ただ《「労働組合」という名の部署》だけがある。
そんなこと分かっちゃいたが,実際に触れる前と後では,怒りの度合いが違う。
だいぶ前の話だが,「組合オルグ」なるものに動員参加した。
本稿は,そのとき組合の幹部から頂いたありがたいお話のメモである。

まず驚いたのは,「オルグ」最初の話が,なんと「昨年度の全社売上・利益と,今年度の見通しについて」だったこと。
そんなもんわざわざ「労働組合」の幹部から教えてもらう話か。

続いて,長時間労働,サービス残業に関する話。まさか組合が取り上げてくれるとは思っていなかったので,意外。眠りかけていた目が開く。
そう,これこそが最も切実な問題なのだ。思えば同期入社のほとんどが,朝から終電間際まで働いてくたばりかけ。週休二日とは名ばかり。寮のお隣さんなんて,二週間ほど取っていない新聞がポストから垂れ下がり,他の人のポストに被さっている有様(読んでないなら買うの止めたらいいのに)。しかも給料は…

さあ,そんな長時間労働・サービス残業について,組合はどんな処方箋を示してくれたか?

こうだ。
□残業時間を正しく申請しましょう。
□業務を効率化しましょう。長時間労働ではなく,仕事の密度を上げましょう。
□仕事が終わったら早く帰るようにしましょう。仕事ばかりでなく自分の時間を持つことも大切です。

なんじゃこりゃ。
正しく申請しろ?それをさせない現状(あるいはしづらい「隣組」的空気)こそが問題なのにねえ。
ただでさえ過密状態なのに,これ以上密度を上げたら死んでしまうよ。
事務所が大好きで用もないのに居残ってるってか!

スタンガンを喰らったような気分のまま,最後に全員起立し,拳を挙げて「ガンバロー」を三唱する儀式,写真撮影でシャンシャン。一体何をガンバるつもりだろう。

これは労働「組合」などではない。「労働隣組」であり,「大経営翼賛会」であり,「労働報社会」であり…。

自称「労働組合」に天誅あれかし。



※後日談※
「組合の行事に参加するくらいなら,事務所に残って仕事を片付けたほうがマシ」
憤った私厭世guyは,以来,あらゆる組合行事を,業務を理由に欠席することにした。労働組合は,一人のアカを社畜化するという大役(?)を果たしたようである。


霞ヶ関の「啓蒙家」ども

あの日は良い天気だった。わりかし上機嫌で,虎ノ門にある事務所から営業先に行くため,霞ヶ関駅に向かったのを覚えている。

駅の近くに,何省だか分からなかったが(後で調べたら総務省だった),電光掲示板が設置してあり,今日の天気だとかニュースだとかを流していた。
ふーん,今日は一日晴れか,と大して気にも留めず通り過ぎようとしたとき,
こんな文句が流れるのが見えた。

「北朝鮮による人権侵害に対する認識を深めましょう」

一瞬我が目を疑った。「北朝鮮による人権侵害に対する認識を深めましょう」。確かにこう書いてあるのを確認したとき,上機嫌も空しく吹っ飛び,胸糞悪さが一気に込み上げてきた。

うるせえバカヤロ!!!
「認識を深めましょう」だと!?
何なんだお前らは!!?

前半部分「北朝鮮による人権侵害」,まあこれは良いとしよう。事実に違いないのだから。

しかし,それに対する「認識」の仕方をまで,何が悲しゅうてお前らに指図されなあかんのか!

全く油断も隙もない奴らめ。いつでもどこでも国民を「啓蒙」しようと,やる気満々なことである。

分をわきまえよ,ということだ。
国民の物事に対する「認識」の仕方=心の有り様を指図する権限など,あなた方に与えた覚えはない。無知蒙昧な私でも,あなた方に啓蒙してくれと頼んだ覚えはない。どう「認識」するかは,こちらが勝手に決める話。
黙って仕事してくれ。


こいつらのお仲間が復活させたがっている「道徳」科目ってやつも,これで大体どんなものか想像できてしまう。オエーッ!

※そもそも,政府機関が特定の国を名指して,非難を国民に呼びかけること自体,非常に危険な事態のように思える。こういったことは最近になって行われるようになったのか,昔からなのか?霞ヶ関の掲示板なんて今まで見たことがなかったので知らないのですが,どなたかご存じでしょうか?


チャベス死すとも自由は…?

地球の反対側でまた一つ,自由が死んでいく。
南米左派旋風の旗手,ベネズエラのチャベス大統領が,自信に批判的な民法テレビ局(RCTV)を閉鎖に追い込んだのだという。

「テレビ局守れ」1万人 カラカスで反チャベス・デモ(07.5.20朝日新聞)
「大統領が「反政府的」 ベネズエラの民放局が放映終了(07.5.28同)
チャベス・ウォッチ

このニュースには心底からがっくりときた。この虚脱感から抜けられそうにない。

チャベス大統領については,ずっと期待と応援の眼差しを送ってきたのだ。

無償の医療制度に拍手を送った。
アメリカ合衆国,世界銀行,IMFのトライアングル(これぞまさに「悪の枢軸」!)に楯突いたことも目を見張った。
その政策が圧倒的多数の貧困層から支持を受けているとも聞いていた。

「21世紀の社会主義」に,大きな期待を寄せた。

・・・と思ったら,これだ。

テレビ局を封鎖してしまう社会主義の一体どこが「《21世紀の》社会主義」なのか。忌まわしい「20世紀の社会主義」と,どこがどう違うのか。

己が目指し,自国の貧困層に支持もされてきた政治を,このような強権的な手段でしか守れないと考えているのだとしたら,労働者も社会主義もベネズエラという国も,一番舐めているのはチャベス大統領ではないのか!

諸外国の左翼こそ,チャベス大統領のテレビ局封鎖に怒らなければならない。自由を,「20世紀の社会主義」との無理心中に付き合わせたくないのであれば。


もっとも,よその国の心配をしている場合でもなさそうだ。あちらの国で自由が社会主義と心中させられそうだと思ったら,こちらでは「美しい国」と心中させられそうになっている。どちらも御免被りたいな。

※この事件の事実関係については,上の引用から分かるように,ほぼ日本の有力紙のみに拠っています。精確さに欠けるところがあると思いますが,目的は表現の自由への危惧の表明ということで,悪しからず。


再開宣言2 サラリーマンからの「No」

今月の売上数字が未達だ!見積の金額があわない!今週末の納品はうまく行くだろうか!?アポ無しで訪問して(株)△□の課長は会ってくれるかな?明日の打ち合わせの準備もある。今日は何時に帰れるだろう。うわっ,クレームの電話が!


歯がゆいというに尽きる。この一年,毎日気を揉んでいたのはこういう類のことばかりだ。「戦争のできる国」がいよいよ相貌を顕わにし,街頭は監視カメラで埋まり,平和も平等も自由も蹴散らされようとしているご時世だというのに。
私は本当に「社会に出た」のか?「会社に入った」ことで,実は「社会から出た」のではないのか?

白状しよう。入社後一年間,会社の業務を覚え,こなすのに精一杯で,「非国民日記」どころではなかった。くたびれ果てて,ブログなど見る時間も更新する気力もなかった。一仕事終えれば人並みに嬉しくもあり,給料が入れば喜び,新たな客先訪問には気合いを入れ,・・・「会社」を覚える度に「社会」を忘れていった。

ふと目が覚めると,状況は一段と末期的になっている。安倍「私の内閣」の成立,教育基本法の破壊,今度は国民投票法案…すべてこの一年間で起こったことだ。
できることなら会社員としての立場をかなぐり捨て,こう言いたい。もはや安穏と×××(うちの製品。とりあえずこう表記しておく)など売っている場合ではない!貧困と強権と戦争の時代に,営業成績もクソもあったものか!「憲法より飯」というのは嘘だ。「飯のためにこそ憲法」なのだ。

だが,そう言うわけにはいかない。息巻いてみたものの,やはり昼はしがないサラリーマン。×××を売らなければ,飯も食えない。ならば,夜残された僅かな時間を使って,《書く》こと以外に,何ができようか。

知識はうろ覚え,意識は混濁し,体は疲れ切っている。時間もない。文章は人に見せられるような体をなさず,緻密な論理展開など望むべくもない。それでも書く。書けば,風速50mの暴風をせめて49.99998mにするくらいの役には立つかもしれないではないか(逆効果とか言わないでね)。

安倍よ,御手洗よ,石原よ,聞け!ごまめの歯ぎしりかもしれないが,サラリーマンだってNOと吠えてやるぞ。


再開します

お久しぶりでございます。大学卒業・某社入社とともに更新を中断していましたが,本日約1年ぶりに戻ってきました。書きっぱなしで何も断り無く一年間放置とは,我ながら無責任の極みであり,「どの面提げて戻ってきた!」と怒鳴られそうではあります。いえ,怒鳴って下さる方がいればまだ良い方で,私が頻繁に更新していたころ当ブログに訪れて下さった方,コメントを下さった方の多くは,きっともう私がどこかへ雲隠れしたと思って,見ていらっしゃらないことでしょう。

中断の理由(というか言い訳)ですか?「マンハッタンに赴任していまして」とか言ってみたいですが,そんなことは勿論ありません。普通に,「会社勤めで手一杯だったから」としておきます。ただ,サラリーマンをやってみて分かったこと,新たに感じたことも意外に多くありますので,おいおい発表していきたいと思います。
さらに,留守中予想外に多くのコメントを頂いているようです。これにもできる限り応えていかなくてはなりますまい。
では,次稿で再開の心意気といきましょうか。


※↑↓この間,14か月のブランク※

14か月のブランクを挟んで,唐突に再開します。

この記事より前は学生時代に書いたもの(2005.7~2006.3),入社後1年間は全く手をつけず,2年目社会人になってから急に再開(2007.6)ってわけです。
サボった言い訳,多少凝った再開宣言等は後からゆっくり行うとして,取り急ぎお知らせのみ。って誰も見てねえか。


景観ドロボー [学生時代に書いた記事]

国立に“潤い”があるとか言っているそばから(前稿)、高層マンション判決住民側敗訴のニュースが流れてきた。運動に加わってきたわけでも何でもないが、今まで住んでいた者としてやはり胸が痛む。
最高裁は、市には当時、高さなどを規制する条例はなかったということを指摘している。確かに、条例は「後出し」なのだ。これを言われると相当分が悪いようにも思うし、法律上では決定的なようにも思う。
とはいえ最高裁の「当てはめ」は今イチよく分からず、「容積と高さを除けば、調和を乱す点はない」など、相当無理をしているように思う部分もある。が、まあ今回法律は論じない。
法律を抜きにして、道義的にのみ言えば、私は迷いなく明和地所を非難する。街のビルの高層化を嫌い、景観を守ろうとしてきた住民の努力を、知らないはずはないからである。

あるとき、明和地所から当のマンション(クリオ国立)のチラシが配られてきた。その謳い文句はおよそこうだ。「国立の美しい景観が一望できます。」そして、クリオから国立を見下ろした写真が載せてあった。ああ、それは確かに「美しい景観」だった。それもそのはずだ。ひとりクリオのみ突出して高いのだから。
これを「盗人猛々しい」と言わずして何というか。今まで住民が街の高層化を抑えて景観を守ろうとしてきたからこそ、「美しい景観」があった。ビルを高層化させない住民の努力によってこそ、クリオは高さにおいて突出することになり、景観を「一望」することが可能になったのではないか。
言ってみればクリオは、景勝地に役所が(それとも第三セクター?)建てたセンスのない展望台に似ている。展望台から見た景色は確かに美しいが、展望台自体が景色をめちゃくちゃにしているのである。
街の景観を自ら破壊しておきながら、これを守ろうとしてきた住民の努力の上に寝そべり、「美しい景観を一望」などと唱う明和地所は、景観の侵害者ではなくて、むしろ景観ドロボーというべきである。単なる破壊者よりずっとタチが悪い。このような謳い文句も、クリオのすぐ後に規制条例ができて、匹敵する高層ビルができないと分かっていたからこそ書けたのではないのか。明和地所は、むしろ規制条例に感謝すべきだろう。


東京砂漠! [学生時代に書いた記事]

寮への引っ越しが完了した。同じ東京都内だが、前は多摩地区の田舎(国立市)、今は江戸川区は葛西である(初めての03ナンバー!)。こっちのほうが、地方の人が「東京」と聞いて思い浮かべる都市像に、はるかに近い気がする。

この葛西という町に降り立った瞬間、思わず口をついて出たのは「東京砂漠!!」というつぶやきである。
ざっとこんな町だ。マンション、マンション、マンション、マンション、マンション、セブンイレブン、マンション、マンション、マンション、TSUTAYA、マンション、マンション、マンション、マンション、マツモトキヨシ、マンション、マンション、マンション、パチンコ屋、マンション、マンション、マンション、マンション、マンション、マンション、武富士、マンション、アイフル、マンション、マンション、マンション、マンション、マンション、マンション、………
殺風景としか言いようがない。人間が住んでいるという感じがしないのだ。いや、少し誇張がすぎたようだ。この町の名誉のために付け加えるなら、居酒屋はたくさんある。ただしチェーンの。

決定的に足りないのは、個人商店である。国立には(そして多くの多摩地区の町には)これがたくさんあった。雑貨屋さん、定食屋さん、八百屋さん…。地元に根を張ったこういう店で物を手に入れ、だいたいの店のオバチャンやオッチャンと仲良しになれた。賃貸とはいえ、この町に住んでいる、という気がした。

ただ、仲間には国立を良く言わない者も多かったことは事実である。モノが(学生には)高い、気取りすぎている、などなど。たしかに、やたら気取った喫茶店やケーキ屋が多かったとは思う(学生には縁がない!)
しかし、喫茶店やケーキ屋だけに目を奪われては、国立という街を正しく評価できないように思う。“普通の”個人商店(雑貨屋さん、定食屋さん、八百屋さん等)も数多く存在しているのであって、むしろこれこそが真価ではないか。うまく言えないが、個人商店が元気に営業している街には“潤い”がある。このことは、気取りすぎという欠点を補って余りあるとさえ思う。
いわば国立は、「上品ぶって(失礼!)気取っているけれど、潤いのある街」である。

一方、気取っていないという点では葛西に分がある。安い店が多いし、“庶民の街”という評価も可能なように思う。つまり葛西は「庶民の街だが、潤いはない」。

こうなると模索したくなるのは「庶民の、潤いのある街」である。これはなかなか難しそうだ。
「庶民=安い」だとすれば、大型店舗や巨大チェーン店ばかりが「安さ」を達成できてしまうのが悲しい。
個人商店を残そうという叫びは、金持ちの贅沢と同視されてしまうのか。マクドナルドや吉野屋が「庶民の味方」面をするのか。
安い個人商店がんばれ!とエールを送りたいが、処方箋は思いつかない。


これが入門書かぁ…『空想より科学へ』 [学生時代に書いた記事]

『空想より科学へ――社会主義の発展』エンゲルス著,大内兵衛訳;岩波文庫白128-7

『資本論』を理解する!と大見栄切って買って読み始めたのが半年ほど前だったか…。買ったその日,第一分冊の10ページ目で早や挫折した。麻布20エレと鉄1/2トンがどうしてこうして…なんじゃこりゃ!
よく知らなかったが,『資本論』は最初が一番難しいらしい。しかもいきなり読むのはやはり無謀で,まずはエンゲルスが書いたこの入門書から読むべきだと教えられた。大衆向けのパンフレットだという。で,読んでみた。

…果たして,よく分からなかった…○| ̄|_
なんとなくは分かったものの,人に説明しろと言われたらまずムリだ。
これを当時の労働者が理解したのだろうか?信じがたい… それとも特別私の読解力が低いのか…レーニン『帝国主義』のほうがまだ読みやすかった気がするのは気のせいか?
まだ一回読んだだけなので,もう何度か繰り返し読めば分かってくるのかもしれないが,しかし,…入門書の入門書が欲しい。


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